2-16
季節が変わっていくのを感じる。
昨日、バイトが終わり新宿をふらついてから映画を観て、帰ったら次の日になっていた。
新宿をふらつきながら、高橋幸宏の「ニウロマンティック」を聴いていた。いつもだったら疲れて早く帰ることを真っ先に考えるけど、頭を空っぽにしながら、立ち止まったり眺めたりして歩いた。映画館がまだやっているのを見つけて、「君たちはどう生きるか」がやっているのを見つけた。昨日、友達がこの映画に出てくる弓矢の話をしていたなと思って、そのまま吸い込まれるように入っていき、一番後ろの席を取った。
ここ数週間、ブログを書かなかったうちにいろんなことがあった。友達と外苑前のカフェで話したり、長野に旅行に行ったり、食中毒になって数日間寝込んだりした。それ以外にも、小さな面白いことがたくさんあった。ブログに書けばよかった。でも、なんだかその気分にもならずに、今、長野でもらったリンゴを食べながら書き始めている。でもなんだか集中できない、頭が急かされてしまうモードなので、今日は、今日あった嬉しかったことを箇条書きにしてみる。自分の言葉が最近すごく少なくなっているのを感じるので、言葉より、絵を描いたり色で表現したりするとしっくりくる。でも言葉がなくなってしまうとやっぱり日々の速度がいつの間にか加速していくようで、居た堪れない。
・深夜の帰り道、春が入り込んでくる空気をいっぱい吸いながら、中学生の時に好きだった音楽をずっと聴いていた(GrimesのDarkbloomというアルバム)
・ルカとカフェに行ってお話しした
・梅の花がどんどん咲いてきている
・おじいちゃんが使っていたカメラをもうすぐもらえる
やっぱり全然集中できないのでまた明日書くことにする。
1-25 木
24日の夜、眠れなくて、ひたすらSinéad O'ConnorのNothing Compares 2 U を聴いていた。私は、耐えがたいような気持ちの時、この曲を聴いている。
友人のKに悩み事を聞いてもらったら涙が出てきた。
彼女は、夜の間いつでも電話とかメッセージしてね、と言ってくれた。そして、明日は一緒にいるよと言ってくれた。重たい心のままでいるよりも、それを忘れられる時間を過ごした方がいいからと、心を遣ってくれたのだ。
朝起きて、頭が重かったけれど、洗濯をして、とりあえず少し外へ出て歩き、それから部屋を掃除した。
雲一つない晴れ渡った空の日だった。午前中のうちに自分の気持ちがだんだん分かってきて、不安は和らいできたように感じた。
彼女が私の部屋の近くの駅へ来てくれたので、私はそこに向かった。その駅には屋上があって、とても綺麗な庭になっている。そして、東京中を眺め渡すことができる。Kと私は、何もない空の下にある、広い景色に感動していた。人が路地を歩く姿や、遠くのハイウェイだったりも見えた。遠くには富士山を見つけたけど、写真に写そうとするとあまりに小さくって、笑い合った。
ローズマリーが咲いていた。チーズの中にローズマリーと蜂蜜を入れて焼き、それをパンにつけて食べると美味しいらしい。想像するだけで幸福な味だとわかった。
突き当たりにあるエレベーターは、ガラスで奥が見えるようになっていて、まるで天国へのエレベーターみたいだった。「天国へのエレベーターみたいじゃない?」と言ったら、それはとてもロマンチックだね、と微笑みながら彼女は言った。そして、私たちはエレベーターに乗り、地上に降りた。
いつも行かない方の道を行ってみよう(それなら二人共にとって冒険的で楽しい時間になるから)と、少し歩いたところに、とても素敵な小さな喫茶店があった。
綺麗な光が差し込む窓際の席に座った。その光は虹だった。
ホットケーキセットを選んだ。実は、今日は「ホットケーキの日」。
彼女が部屋に飾っている日めくりカレンダーには、毎日「何の日」か書いてあるそうで、今朝確認してきたらしい。そんな偶然の一致にも驚いたり嬉しくなった。
これ以上書いてももう書ききれない、それくらい、奇跡みたいな日だった。たくさんの記憶のポケットを開けあった。
私は高校時代くらいから、本当に心を開いて話せる友達が欲しかったんだなと思う。今、十代後半の記憶がほとんど無いのは、消えてしまいたいなとずっと思っていたからかもしれない。何かに自分が変えられることが怖かった。制作することや、今を生きることや、未来のこと、周りの人たちに問い正されていくようで、怖かった。今、私は友人を得ている。彼女たちと、苦しかった記憶を少し共有する。聞いてもらっているという気もしない。信頼しあっているからこそ生まれる会話だと思う。開示すること、正直な気持ちを伝えること、それは関係性を築きあう中でとても大切なことだ。安心できるほど、自由になれる。
彼女と近くのレコードショップに入って好きなクラッシック音楽のレコードを見つけたり、夕陽の色にまた感動しながら歩いて、まあるい月をみて、公園を少し歩いた。彼女は、雪が好きだという。雪が降ると、世界は真っ白になり、とても静かになるからだという。結晶のイメージも、彼女の中にある核心に触れている。その頃にはもう周りは真っ暗になっていた。私の心は、静かになっていた。
それから、Paul Gallicoの「雪のひとひら」を最後まで読んだ。彼女の存在が、私にこの本を導いてくれているように感じた。
一生を雪の結晶としての運命に流されながら生きていく。読み終わった後はまるで走馬灯を見ているかのような感覚を覚えた。私は、人生には始まりと終わりがあることに気がついた。雪の記憶をたどりながら、私は、自分の声を聞こうとしていた。そして祈った。
私の悩んでいたことは人間関係のことだったけれど、その夜、ちゃんと私の気持ちを伝えたら、相手の心も解けていくように、そして、もっと信頼し合えるように変わっていったように感じた。私の中では、大きく変わった。Kがもたらしてくれたのは、揺るぎない、とっても明るい、穏やかな希望だった。薬よりも、よく効くものがこの世界にはあるのだ。
カレーは、和風にしてうどんと合わせたら、とっても美味しくなった。
おやすみなさい!
1−24 水
今日の月はもうすぐ丸くなろうとしている、ほぼ満月。
一月の満月はsnow moonとも言うんだよ、と教えてもらった。
●
今日はカレーライスを作ったけれど、リンゴを刻んで入れたら、量が多かったみたいで、甘すぎるカレーになってしまった。これはまずい。
これはまずい。本当に久しぶりにそう感じた。
コンビニで買うおにぎりも、カップラーメンも、焼くだけのお餅やトーストも、お茶も、どれも、間違ってしまったと感じるほど不味くなることなんてあり得ない。でも、このカレーは悲しいほど、まずい。生ぬるい味がする。もう食べたくない。
今日は、感情に飲み込まれる前に月を見たことで、心が地面に落ちるのを救うことができた。
それから部屋に着くまで、たまに立ち止まった。静かに揺れている。気配や影に気持ちを寄せていく。冬は寒くって立ち止まることができない。
のんびりとすることが大切だ。
考えられるようになったら考えればいい。
そう思っても、刻一刻、自分自身が頼りなくなってしまうのだ。
昨年の夏を思い出した。Lと一緒にプールサイドで話した時の、彼女の瞳。
彼女が貸してくれた、Rilkeの"Lettes for the Young Poet"をもう一度読み返す時が来たと思う。
今日が、ただのいつもと変わらない1日だったのか、何かがすっかり変わってしまった日だったのか、私にはわからない。
毎日がきっとそうなのだ。気付かないうちに下す選択が、物事を少しづつ変えていく。
何を見て、何を感じて、どう呼吸をして生きている?
私のことを、あなたのことを、いつだって元気でいてほしいなって思っている人がいるんだよって、Fと電話で交わした会話を今思い出した。すっかり忘れていた。忘れないで。
私の描いたお気に入りの絵 名前はまだ決めていない
1-19金
1/19、わたしの大好きな人たちがアトリエにいる生活も、一区切り。私は友達に一年ありがとうと言ってハグしたかったけど、気持ちがぐるぐるしながらずっと緊張してる自分を落ち着けることが最優先のマインドになってしまい、とにかく掃除をして、夜の8時くらいに部屋から去っていく彼女たちの背中を見送った。Aは、元気だったらメールしてね、とジェスチャーで伝えてくれた。
棚を整理していたら、Nが作った素敵なガリバンのプリントが目に入った。絵と言葉が一体になっていて、"LET THE WATER FRESHEN UP MY SOUL" と書いてあった。わたしのプリントも出てきた。このまま紙片として片付けるより、ちゃんと名付けてあげたい気持ちになって、エディションナンバーと、"ROSE"という作品タイトルと、サインを書いた。
Aに一枚あげたら、胸に手を当てて喜んでくれた。わたしも自分の胸に手を当てて、彼女の胸とつなげる、手話のようなジェスチャーをした。自分の内側から体が震える気持ちを伝えたかったのだ。
1-15 月
朝、何度も夢を見た。何度も起きようとするが二度寝してしまう夢だった。
この日は朝10時から、新文芸坐でラース・フォン・トリアーの上映があり、気になっていたので観に行こうと思っていた。けれど、ようやく起きた頃にはすでに10時だった。
私はそれをDにに伝えた。起こしてくれたら一緒に見に行けたのに、と返ってきた。私は、昨日は夜遅かったし今日はタイミングじゃなかったんだよ、と答えた。
昼が近づいてきた。
コーヒーを飲み、ソファーで話したり、Wes Montgomeryの演奏を聴いたり、Samuel Beckettの映像作品、Krapp's Last Tapeを眺めたりした。人生の終わりが近づいていて、かつ未来に希望もなく孤独に生きている老人が、暗い部屋で自分の人生の記録が吹き込まれたテープを聞くというものだ。切ないを通り越して、これはコメディーだ、と思った。彼は、もう過ぎ去ったが大切だった人との思い出の部分を、怖くなって止めたり、でもやっぱり聴いては反芻したりする。
彼は最後、こう呟く。
"Perhaps my best years are gone, when there was a chance of happiness. but I wouldn't want them back. Not with the fire in me now. No, I wouldn't want them back."
「この人生の最良の時期は終わった。あの頃はまだ幸福になれた。しかし、もう戻りたいとは思わない。今や、心の中の炎は失われている。(今もあれば。)いや、戻りたいなんて思わない。」
私が所属していたジャズオーケストラの動画も見せた。Dのお兄ちゃんが、彼らが参加していた小学校のブラスバンドの動画を、笑いながら見せてくれた。みんな全然練習しないから演奏はバラバラで、指揮していた先生は、演奏が終わってから「今日は人生で一番恥ずかしい日になりました」と言ったらしい。
私はオーケストラにいる間、一度だけアドリブ演奏のパートを持ったことがある。その曲は"Mas Que Nada"、有名なボサノバの曲だ。
Sergio Mendes & Brasil 66 - Mas que nada, from Eartha Kitt's Something Special 1967k
この動画がお気に入り。ピアニストと、ボーカルの女性二人と、その二人の間でマラカスを持ってただ踊っているだけの男性がいる。英語では、こういう役割のとをHype Manと言うらしい。(HipHopの盛り上げ役としてよく使われる言葉)この曲のHype Manの、空気を掴んでいくノリが大好きだ。こういう人が町中にいて踊っていたらいいなと思う。
自分の部屋まで歩く途中、強い風が吹いていた。下校中のこどもたちが前から歩いてきた。
風は遠くから何かを運んでくる。いろんなものが混ざり合う。私は、ここにいることが不思議。ずっといたら自分の人生に戻れなくなりそうだけど、そもそも、私の人生がここではないどこにあるんだ、という気持ちになったり、でもそう感じるということはまだ探し途中で、ここではないどこかがあるんだということも思い知らされる。
それから、提出書類のための1200字くらいを書き終えて、バイトに向かった。
バスに乗ったら、違う便に乗ってしまった。でもなんとか、いつもと違う景色を見ながら新宿に辿り着いた。ここ数日毎日のようにバスに乗っているけど、毎回違う。隣に誰かが座ってきたり、前の日と反対側の席に座ったり。
働いている間は、レジで19歳のバイト仲間の子とたまに話していた。私が19歳だった頃を思い出す。
帰り道は、「三月のライオン」を携帯で見ながら帰った。
高校時代の先生が、登校最終日にみんなに教えてくれた矢崎仁の初期の作品。私はこの映画を何度も見ている。景色や音は私の人生に息づくようになった。空っぽの部屋、大きな窓、夜の新宿、ポラロイドカメラ、アイス。今日みたいな寒い冬の日に、凍った硬いアイスを齧るシーン。
𓆛𓆜𓆝𓆞𓆟 今日の音楽は、この映画の中に使われている音楽から。
Inti Illimani - Amores Hallaras
私はこの曲が大好きだ。明るい日に涙が出るみたいに透明な曲。
Yma Sumac -Virgenes del Sol
この橋から、携帯電話を落としかけた思い出がある。
おやすみなさい!
1-14 日
・・・・
起きて、甘いものをいくつかつまんだ。
洗濯をした。風が強い日だった。透明な光がカーテンを通ってこの部屋に入ってきた。白いベッドシーツに光があたった部分が綺麗だった。
夕方にはDと会う約束をしていたので、まだ終わっていない提出書類などを片付けることが最優先だった。早く外に出たい、散歩したい、作業も外のカフェでしたいと思っていたが、連日遅くまで働いていて疲れていたので、ゆっくりと1日を始め、部屋で作業を始めた。
午前中は、Dのバンドに頼まれて作っているシングルのカバーアートを完成させるため、スキャンした作品をPhotoshopで色や光の微調整をして印刷しては見比べていた。
先週、大学でポリマーフィルムを使った印刷方法のワークショップがあり、その際に、彼の部屋の窓から見える木の写真を使って印刷をした。銅版画用のインクで刷り、プレス機で印刷したイメージは、緻密かつ物質感があり、カラー印刷の写真とはまた違った趣がある。
彼らの音楽は、柔らかい。翳りのあるところがある。暗闇かもしれない。でも、安らかさも同時にそこにあり響いてくる。カバーアートは、シンプルな見せ方をするのがいいなと思っている。
昼は鍋を作ることにした。白菜や豆腐、しめじ、ネギを切って、冷凍していたお肉を入れて、豆乳鍋にした。
窓を開け放つけれど、何度も吹き付けてくる風が少し冷たい。カラッとした空気の感触は自分がとても好きなものなので、わざと窓を開けている。お鍋を食べたら眠くなってきて、提出書類はまだ出来ていないのにもう夕方になってしまいそうだった。でも、とりあえず寝た。寝たら頭がスッキリすると思ったからだ。
20分仮眠をとって感じたのは、何かがおかしいということだった。顔が熱いし、左側の頬だけ皮が捲れてきている。原因はピアスだった。左側の耳たぶのピアスを外したら、傷のようになっており、腫れていた。金属アレルギーを起こして顔が赤くなっていたことに、昨晩からなぜ気が付かなかったんだろう、と思った。眩暈がした。それから化粧をし、着替えて待ち合わせの原宿に向かった。バスを使って向かったが、途中の乗り換えがうまくいかず、代々木八幡あたりを歩いた。初めて歩いたが、無機質で近未来的な建造物だったり、歩く人たちの雰囲気だったりが、普段の自分の見る景色と違って面白さを覚えた。
原宿駅の前で、彼は音楽を聴きながら待っていた。1週間ぶりに会えたのがとても嬉しかった。
表参道を歩いて、デザインフェスタギャラリーの展示に向かったが、お目当ての展示は昨日終わっていた。
会話の途中で、そういえば私は最近スケボーをやりたいんだ、ということを思い出した。それを伝えたら、supremeの店舗に連れて行ってくれた。凍ったりんごがプリントされた蛍光グリーンのボードがあり、それが私の目に入った。彼は「欲しいの、欲しくないの?」と聞いてきて、私は「これは大きすぎるかもしれないし、ちょとだけ高いし、今までスケボーやったことないのに大丈夫なのかな」とか頭でっかちになっていたけど、結局手に入れた。近所の気持ちいい道を滑りたい。それがこれから実現可能になると考えると、ウキウキする。これからテープやウィールを買って、使えるようにしていく。
それから、billsという高級な朝食が食べられるお店に入ったが、なんだかドギマギしてしまった。フリットミストという海鮮のフライのメニューの名前は可愛いなと思った。コリアンダーが何か忘れたまま、音が可愛いからそのカクテルを頼んだら、思った以上に草の味がしてびっくりした。でも、青汁を飲むみたいに、飲んでいるうちにだんだん慣れてきた。
夜は、彼のおうちで、彼の兄弟も一緒に、プレイステーションでシナリオゲームをした。テレビの撮影班が小説家の家を訪れて撮影をするが、その家は殺人用に改造された屋敷だった、という設定。
気がついたら深夜をとっくに過ぎていたが、ソファーの上で、ゲームの迷宮を見ている気分は心地が良かった。
1-13 土
同じように、同じ場所を目指して地下に潜っていった
私自身は、昨日の真似をしたように過ごしたけれど、昨日と今日では出会う人が違う。そのことが違う時間の流れを生み出していた。私は今日よく笑っていた。周りにいる人みんなと話した日だった。その人の目を見た瞬間に共鳴するものを見つけて、嬉しくって仕方なかった。
今日も同じようにコーヒーを持って、バスに乗った。そして、同じようにバスに乗って帰ってみた。その前にベルクでカレーをリベンジした。今日は単品を頼み、立ち食い蕎麦を食べるように勢いよくお腹に入れて、バス停へと向かった。
今日は言葉を書くような気持ちにはならず、手帳には絵を描いてみた。こんな小さな絵を描く中でも、何かを思い出したり意識をつなげている。たとえば、部屋に作業机を置きたいと思った瞬間のこと、うまく何かを書きたいけど書けないから絵をぐちゃぐちゃにする感覚のこと、入江の水面がもたらす重い印象のこと、夜のバスの座席から見える流動的な風景のこと。
ブログを書くのは自分の部屋を作る時と似た気持ちを覚える。手が物を動かしながら、自分が思うこと、欲していることを確認していく。部屋は、基本一人で過ごす場所。そして、外から持ち込んでくるモノ、思い出、訪れる人などによって、内容は日々変わりアップデートされていく。いつも、アップデートされるタイミングは掃除かもしれない。
今日は掃除をして、机の向きを変えたり、数週間積みっぱなしにしていた紙を元の位置に戻したりした。私は1週間に一回くらい、掃除をする。今日は、ゴミだと思いつつ取って置いていたものが、使い道がある宝物だと気が付いたりもした。
(それがこの赤いドレスだ。)
今日話した職場の人たちの部屋のことを、私は少し思う。
来月末からヨーロッパ旅行に行くA君。私と映画の趣味が合うBさん。東ドイツの共産主義時代の建築の本を見せてくれたCさん。民話の話で盛り上がりそうになったDさん。古典文は読めないけど現代文で100点をとるEさん。
みんな私とは全然違う人生を歩んでいるけれど、でもなんだか重なり合う部分もある。私は職場の人たちの部屋に入ることはないけど、話すときに少しだけ、覗かせてもらっている感じがする。部屋とまではいかなくとも、机の端っこくらいのところ。私は新聞記者になって、彼らを取材し、小さな紙片をもらうのだ。
今朝はとても晴れていたけど、昼過ぎになって、普段あまり見ないようなグレーの雲が空を覆うのを見た。雨が降ってきたので干したばかりの洗濯物を取り込んで、エアコンをつけて部屋干しをすることにした。そういえば昨日、シャワーを浴び終わった時、この人生が続いていくことが不思議でたまらなくなった。
記憶の中の景色は、私の部屋に少しだけある。毎日7時のラジオZIP-FMを聞いていたあのリビングルームは今私の部屋の中にあると思う。あの海の景色もこの部屋に映し出すことができる。対岸には誰かいるのかな。(そんな蜃気楼をいつか見たかもしれない)
おやすみなさい...good night