7-7

Platschute

here comes moene! I try to keep my diary

5-23

5月も後半に入った。最近、目が腫れている。

忙しかった書類提出を終えてホッとした反面、最近は心が重くなることが多い。

ここにいていいのかとも思うし、本当に、色々と、誰にも相談できないなと絶望的になる。

 

今日は夢を見た。私は留学していた。多分、イギリスだった。

自転車に乗り、街を駆け抜けていった。あまり人がいなかった。

クララの声が聞こえた。プラハはこれよりもっと人がいないよ、といった。

教室のような部屋にいろんな生徒が集まっている。

留学中に、技術的なこと、もしくはもっと新しいことを広く知るようなことか、どっちがしたいか聞かれた。

 

 

 

私は、大学を辞めたい気持ちに襲われることが、学部時代、何度もあった。

去年は、新しい大学に入り、それからは初めてそのような気持ちを抱くことがなかった。

それは、そこで出会った友人と過ごす時間があったからだと思う。

彼女たちは今ヨーロッパに戻ってしまって、今はメッセージでやり取りをしている。

 

今、彼女たちと会えないことが、すごく寂しい。

私は、自分の存在価値が本当に自分自身で見出せない。

こんなことを書くと両親に何か言われそうだが、ずっと、自分が美術をやっていること、大学院まで上がって続けていること、それにもかかわらず、本当に、これは自分ではないような気がする、という葛藤があることが、たまに苦しい。

研究室で、自分の信念と折り合わない話が出たりしたら、なおさら、絶望的になっている。

私は、それでも、もうどうしたらいいかわからない。

すごく寂しいような気がする。

 

3ヶ月後には、オーストリアのウィーンにいる。

私は、大学を辞めたらそれができなくなるので、大学を続ける。

 

辞めたらどうするの?と苦しい時に何度も聞かれたが、どの時も答えられたなかった。

私の人生を生きているのに、これが譫言のように思えてくる。

こんな文章を読まれてしまうのはおかしいけど、今の時期、私はこんなふうに感じている。

 

5-1

曇りの、心地いい温度。

昨晩に飲んだコーヒーのせいで、3時ごろまで目が冴えていた。

お腹が空いて眠れなかった。でも、朝起きたら、お腹がすいていなかった。不思議だ。

目覚めたのは7時ごろだったが、二度寝をして起きたのは10時前だった。今日もうるさいような夢を浅い眠りで見ていた。たくさんの人造語が出てくる夢だった。

昨晩は、金子ふみ子の「朝鮮での私の生活」を読んでいた。

 

着替えて、布団を片付けて、外へ出た。

少しだけ雨が降っていた。

 

昨日の夜に歩いた道をまた歩く。今の時期の緑の青々しさと生命力に圧倒される。

どこからも湧いてきていて、繋がっていて、背が高く伸びてきている。小さな花も足元に増えてきている。空から降ってきた星のような花たち。

 

ドトールへ向かった。ジャーマンドックとココアを頼んだ。

毎日こんなものばかり食べているからか、やはり今日も顔色が良くない。帰ったら、料理をする予定だ。鶏肉、にんじん、新牛蒡を入れた炊き込みご飯と、野菜スープを作ろうと思う。

 

ドトールの二階へあがろうとする時、ホテルのロビーみたいな匂いがした。芳香剤の匂い。

私はこの匂いが好きだなと思った。

 

和田洋子の小説を読み進めてから、ノートを開いた。今、奨学金をもらうための申請書を作っていて、そこにある質問に答えなければならない。

未来について、答える必要がある。私は、戸惑う。自分が、一人じゃない。何に集中しているかわからない。どれが自分かわからない。前の自分と今の自分が一致しないばかりか、今の自分が誰かわからない。そんなような気持ちになる。こんなところで立ち止まっていてはダメだ、と思うけど、ここで立ち止まった時に見えてくるものが気になる。

目的のないままに進むことの危うさと、それを別になんとも思わない自分。こうやって進んできたからこそ悩むこと、そして、こうではない自分を想像できるという余地。

雑念が多すぎて、未来のことが見えなくなっているのかもしれない。不安な夢ばかり見ているように、将来が見えないことへの不安感は、瞬時に私を覆い尽くす。何もかけない。私は、何もしていない。ココアは多すぎる。ここを出よう。

 

帰り道に、郷土博物館に寄った。公民館とか、古い図書館みたいな匂いがして安心した。

旧石器時代、ここは手付かずの森だった。その時代に生きていた人たちは、今も夢を見ているんだろうか。

Dのお母さんが、この世界は仮の世界で、本当のおうちは天国にあると信じていると言っていた。魂が旅をしてここにる。そうなのかもしれない、そう信じてみたいなと、私も今日は思った瞬間があった。すごく綺麗な花があった。私はその花を夢の中で見たいなと思った。

本当のお家はどこだろう、もう戻れない場所にあるのかもしれない、未来の中に見つけられないかもしれない。だから目を閉じたらそこにあると信じてみる。生きていることにもしかしたら意味があるかもしれないのは、この世界が無意味に感じても、無意味ではないよと片方から教えてもらえることにある。

徐々にできてくるし、話せるようになる。見えるようになる。(私の書類も、きっと三日後には完成している。)

 

お腹が少しおかしい、そして、雨は朝よりも強く降っている。今日は美味しいものを食べて幸せを感じること、夜は出かけて音楽を聴きに行くこと。

一人でいるときも、心の中で、呟き続ける。

 

youtu.be


 

 

 

4−30

今日は夢を見なかったけど、昨日は、夢を見た。非常に奇妙な夢だった。Dに話したので、今も記憶している。箇条書きで書くと、こんな感じの夢だった。

 

・道路に面したY字路に建つ二階建ての安アパートに住む、知り合いのおじさんUさんは、彼の家を狙う空き巣のような若者がいることを教えてくれる。Uさんは、そんなに気にしていない。私は開けっぱなしの窓の外から、部屋の中にいるUさんを見ている。そうしたら、奥から痩せ型の少し怪しい青年がアパートに近づいてくる。Uさんは追い払う。私はその一部始終を見ている。Uさんは、私が20歳の時に知り合ってお世話になった、元銀行員の、アナーキーな、落ち着いた目のギラギラと輝く、音楽を愛する心優しい人だ。

(私は、大好きだった人と別れたけど諦められない時に、「あの人のこと、めちゃくちゃ好きだったな〜って思い返すのも、なかなかいいものですよ。」ってUさんに言われた言葉をたまに思い返す。大切なものはいつまでも消えない。)

 

・知り合いの弟の住む場所に行くことになる。なぜかそこは、綺麗に整備されながらも、怪しげで暗いトンネルのような空間だった。ショービジネスが行われているのだろうか。執事などもいる。私は誰かと一緒にそこを歩いていく。ヴィジュアル系の格好をした、身長が80cmくらいの人たちが何人も横を通り過ぎる。私は一瞬びっくりして挨拶を忘れるが、挨拶されないことを失礼に思うその人たちの表情を見て、咄嗟に挨拶をする。

 

・地下にあるお土産屋さんで、キラキラのデコレーションシールを物色している。友達に見せるが、「それ、使うの?」といわれる。私は悩み、いくつか小さなものを購入する。横に有名なモデルの人が来て、買ったシールを見せてくれる。大きくて派手な、私の見つけていないものだった。

・その地下から出た場所は、大きな空港のような吹き抜けの空間で、学校のオフィスとか役場みたいな窓口があった。窓口の人と、何か話したかもしれない。その横に、忘れ物コーナーがあった。少し遠くで、Hさんが一人、歩いていく。私に手を振っている。「神谷ちゃーん」って言っていたかもしれない。

落とし物コーナーには一つ石が置いてあった。そして、先端が少しだけ茶色で塗ってある。それは、私は13歳ごろに実家の庭にあった小さくツルツルした綺麗な石に絵の具を塗ったのと同じものに見えたが、夢の中の石は、より粗野で、ゴツゴツしていた。

・外に出た。多くの人が、ビアガーデンのような雰囲気の中でお酒を飲み盛り上がっていた。もう夜だった。私は、スペイン系だという巻き髪の背の高い青年と話した。彼はギターを弾くらしい。他の会話はしなかった。それから、友達と一緒にタクシーに乗って帰るような、帰らなかったような、それは覚えていない。

・・

 

今日、朝起きたのは10時半ごろだった。思いのほか遅かったのでびっくりした。空が白いから、朝だってことが喜べない。お腹が空かない、そんな気持ちで、シャワーを浴びた。

 

シャワーを浴び終わって、石鹸越しに窓からそよぐ風を顔で感じた。石鹸の匂いと風の香りが混じり合って、いい気持ちだった。

今日は大学に行って、必要な書類を発行しようと思った。ついでに顔写真も撮ろうと思ったので、濃いめに化粧をした。ファンデーションを塗って、マスカラをして、アイライナーを引いた。けれど、あまりうまくいかず、ただ疲れて見えるだけに感じた。適当に服を選んだ。だから、今日はあまり人に会いたくないなと思ったし、出掛けてからも、何度もトイレで自分の姿を確認していた。顔が疲れていて、心が固まっていて、それを和らげる何かを必要としているのはわかっていた。

外に出た。今日は、いつもと違う駅を使おうと思い立ち、逆方向に足をすすめた。

少し歩くと、急勾配の坂の左側に、小高い丘のような公園が現れる。

そこは、Dの気配のある公園で、3本の木が印象強く立っている。私は、何かに急かされているような気がしていたから頭のどこかではそのまま通り過ぎようとしていたが、風に揺れる歯の擦れる音、虫の音が、大きく感じて、その公園に入っていった。

びっくりしたのは、木の奥に、白い躑躅の花がひしめくように咲いていることだった。私は奥へ進んで行った。躑躅を一つ摘んでみた。躑躅は、後ろが甘い花だと記憶している。だから蜜を吸ってみたが、何も味がしなかった。

3本の大木に近づいた。そのうちの2本は、滑らかな木で、一本は、割れ目の際立つ松の木だ。

滑らかな方の一本に、樹液が溢れているのを見た。白濁した樹液と、茶色い樹液があって、なんだか生々しかった。蟻がたくさんいた。しばらくじっと見て、他方の松の木に近づいた。その木には、ちょうど座れるような高さの出っ張りがある。私はそこに座った。小さな葉っぱが樹液で幹にくっついていた。葉を剥がすと蜂蜜みたいに伸びた。別の場所に移した。

気温が高くなって、樹液が変化したりすることってあるんだろうか。蟻が活発になったりもするんだろうか。

木は知恵の象徴だとする、そして私は木に近づく。最近、頭がおかしいんですと悩みを聞いてもらっているような気持ちで、近づく。そして離れる。坂を降りていく。

 

お腹がすいたわけではなかったが、気分があまり良くないのは、食べていないせいかもしれないと思い、美味しいベーグル屋さんに入った。ピンクソルトのベーグルに、ツナサラダを挟んでもらった。オーダーしてから、15分くらい待った。その間、多和田洋子の「地球にちりばめられて」を読んだ。久しぶりに、お話に丸ごと体が入っていくような感覚を覚える。

 

故郷はもう海の底に消え去っていて、ローマ帝国のように過去の遺産になっている。移民として生きる自分。もう戻る場所がなく、自分の出自がどこかとかも現実的な意味は失われている。今の自分の状況、ということがいつ変わるかわからないからこそ、今の自分の状況であることに意識を向ける。

 

お金を少し引き出し、ミントティーを買い、電車に乗る。小説を読み進める。

どこか、今、私には拠り所が必要で、それが読書であることに納得する。バイトもやめたので、話す量が減った。人と人は、何かを交わし合って生きている。知らない人とでもだ。バイトをして本を売っていた時は、何か、その実感があった。今は、本を読む側になる。高校生の時みたいに、読むのだ。病に侵されているから読むのだ。現実と本も、互いにやり取りを交わす。私は本を通じて、呼吸できるようになりたい、そして、何か遠くを想像したいのだ。

 

 

駅を降りる。ベーグルを齧りながら、公園の中を歩き進んでいく。

野球の練習場の横で腰を下ろす。ネットの奥に、鳩が10匹くらいいる。散らばっている。生ぬるい風と、視界一面の緑色のネット、鳩、ツナの挟まったベーグル。この瞬間の自分を写真に撮っておきたいような不思議な気持ちが湧き上がった。世界に色がついている不思議、マグロがパンに挟まっている不思議、少年たちのいない練習場を眺める自分。現実感がなかった。

大学へ行く道は、観光客がたくさんいる。目新しい風景に感動しているのか困惑しているのかわからない観光客たちの中で、私は歩いていく。

 

大きな木に覆われた通路がある。上を見上げると、濃く密集した葉っぱの間から光が揺れている。私は、こうやってたどり着いた場所を、いつか小さい時に見ていた気がするということを考えた。そんな、目のイメージようなものを想像したのは、Apichatpong Weerasethakulの展示を最近見たことから来ていると直感した。真っ暗な空間の中に、目玉が浮いていた。恐ろしく静かな場所で、森のざわめきの中、光は浮遊して、その光は私の中にも感じられた。

たまに思い出す、恐ろしいような気持ち、生と死が両方あることを感じること、静けさを体に聞かせることから離れていると、自分の欲望に飲まれてしまって、感覚さえも失える。

私は、思い出す。思い出せることは、強く印象に残っている断片的な景色。行ったことのない場所。これから行くかもしれない場所。

 

大学で書類を無事発行して、帰るか迷ったが、一つ展示を見ることにした。

昨日の夜、墨東奇譚という映画を観た。私は中学生の頃、墨田ユキの写真をTumblrで見つけて、少しだけ憧れていた。その頃の自分の顔と似た部分があって、こんなふうに綺麗になりたいと感じていた。その墨田ユキが、映画に出ていた。この映画に出ることが決まってつけた芸名なんだという事も知った。

この映画を見てから、東京に戦前生きていた人たちの暮らしぶり、文化をもっと知りたくなっていた。

そんなところで、大学の美術館で大吉原展がやっていたので鑑賞した。ちょうど映画と背景が重なり、興味深く見ることができた。この人は、どんな香りがしていたんだろう。どんな俳諧、和歌などが詠まれていたんだろう。そんなことを想像した。一方で、人身売買、厳しい生活リズム、政府から自己責任を押し付けられて肩身の狭くなっていく時代変遷などの側面を知った。その側面は、もっと分かったほうがいいと思う。最後の方は、なんだかテーマパークみたいで興醒めした。

 

美術館を出た。公園を歩き、噴水の横で少し腰をかけ、小説の続きを読む。この噴水のそばで座るとき、帰ってしまった留学生の友人を思い出すから、少しだけ感傷的になる。

 

なんだか、帰りたいけど元気が出なくて困った。多分、寂しいのと、締切のある書類に気持ちが追われていることが、理由だと思った。

そこで、Vに電話をした。Vも、多分一日気分が上がらず寝ていたようだったが、30分くらい電話をして、ゴールデンウィークにどこにいきたいかとか、書類を終わらせるにはどうしたらいいかとか、たくさん話したら気持ちは電話する前よりも明るくなっていた。

 

電車に乗り、今日の朝使ったのと同じ駅で降りた。

少し駅前で腰を休め、小説をまた読み進めた。私は特権的な自分が心底嫌になっていた。そして、私の言いたいことを小説の中で体現してくれていることに感動していた。

 

帰り道、また公園に寄った。空は暗く、私はそこで少しだけじっとした。また少し読み進めた。

そして気が済んだので公園を出ると、Dがギターケースを抱えて目の前を歩いてきた。私は、今日の疲れた姿を見られたくないような気がしながら目を擦り、彼をじっと見た。彼は私に近づいてきた。いつも温かい体が、少し冷たく感じられた。お互いが、どこか冷たい壁を背負っていることを感じた。簡単に言葉を交わした後、私は不思議な気持ちになった。今日、一日中何かのタイミングで彼のことを考えていたかもしれない。私はたくさん寄り道をして、暗い路を歩く彼に出会った。私も暗い路の中にいた。

 

川辺を歩くと、とてもいい気持ちになった。ここを走るのは気持ちがいいだろうなと思った。

ここに住んでいて、よかったとも思った。

そして、唐突に現れたのは、またもや密集する躑躅の花々だった。

この花は私に祖父を思い起こさせる。この時期に、庭の躑躅の前で写真撮影をして遊んだ記憶が深く記憶に残っているからだ。私は、この躑躅の小さな山々の間にたち、隠れるような気持ちになった。迷い込むような遊びを想像した。この景色をDに共有したいと思ったが、今ではないと思った。

 

そのまま、公園を深く進んでいった。広場のような草むらがある。私はバッグを木の麓に置いて、目を閉じて薄暗闇の中をゆっくりと旋回した。目を閉じ、開けて、輪郭の掴めない状況の中を探索した。全部が粒子みたいなのに、いい匂いがして、私はそこに溶けている。

いい匂いのする白い花を見つけたので、近くで嗅いでみたら、蜂が私にびっくりしてブンブン唸った。私はその花の匂いの充満する空気を吸いながら、またしばらく、ふさふさの雑草を踏んで歩いた。木に触れると、暗くてよく見えないからどこを触ったかわからなかったが、苔のようなふさふさしたものに触れた。

 

 

孤独を心に飼い慣らして、道を自分で探すしかないと思う。

当て所ない旅がしたいなと思う。

アパートの庭のバラが咲き始めている。

心の中でただいまといった。

少しだけ、安心した。

シャワーを浴びた。

今日は、少し早く眠ろうと思う。

 

2-16

季節が変わっていくのを感じる。

昨日、バイトが終わり新宿をふらついてから映画を観て、帰ったら次の日になっていた。

新宿をふらつきながら、高橋幸宏の「ニウロマンティック」を聴いていた。いつもだったら疲れて早く帰ることを真っ先に考えるけど、頭を空っぽにしながら、立ち止まったり眺めたりして歩いた。映画館がまだやっているのを見つけて、「君たちはどう生きるか」がやっているのを見つけた。昨日、友達がこの映画に出てくる弓矢の話をしていたなと思って、そのまま吸い込まれるように入っていき、一番後ろの席を取った。

 

ここ数週間、ブログを書かなかったうちにいろんなことがあった。友達と外苑前のカフェで話したり、長野に旅行に行ったり、食中毒になって数日間寝込んだりした。それ以外にも、小さな面白いことがたくさんあった。ブログに書けばよかった。でも、なんだかその気分にもならずに、今、長野でもらったリンゴを食べながら書き始めている。でもなんだか集中できない、頭が急かされてしまうモードなので、今日は、今日あった嬉しかったことを箇条書きにしてみる。自分の言葉が最近すごく少なくなっているのを感じるので、言葉より、絵を描いたり色で表現したりするとしっくりくる。でも言葉がなくなってしまうとやっぱり日々の速度がいつの間にか加速していくようで、居た堪れない。

 

・深夜の帰り道、春が入り込んでくる空気をいっぱい吸いながら、中学生の時に好きだった音楽をずっと聴いていた(GrimesのDarkbloomというアルバム)

・ルカとカフェに行ってお話しした

梅の花がどんどん咲いてきている

・おじいちゃんが使っていたカメラをもうすぐもらえる

 

 

やっぱり全然集中できないのでまた明日書くことにする。

 

 

 

 

1-25 木

24日の夜、眠れなくて、ひたすらSinéad O'ConnorのNothing Compares 2 U を聴いていた。私は、耐えがたいような気持ちの時、この曲を聴いている。

 

友人のKに悩み事を聞いてもらったら涙が出てきた。

彼女は、夜の間いつでも電話とかメッセージしてね、と言ってくれた。そして、明日は一緒にいるよと言ってくれた。重たい心のままでいるよりも、それを忘れられる時間を過ごした方がいいからと、心を遣ってくれたのだ。

 

 

朝起きて、頭が重かったけれど、洗濯をして、とりあえず少し外へ出て歩き、それから部屋を掃除した。

雲一つない晴れ渡った空の日だった。午前中のうちに自分の気持ちがだんだん分かってきて、不安は和らいできたように感じた。

 

彼女が私の部屋の近くの駅へ来てくれたので、私はそこに向かった。その駅には屋上があって、とても綺麗な庭になっている。そして、東京中を眺め渡すことができる。Kと私は、何もない空の下にある、広い景色に感動していた。人が路地を歩く姿や、遠くのハイウェイだったりも見えた。遠くには富士山を見つけたけど、写真に写そうとするとあまりに小さくって、笑い合った。

ローズマリーが咲いていた。チーズの中にローズマリーと蜂蜜を入れて焼き、それをパンにつけて食べると美味しいらしい。想像するだけで幸福な味だとわかった。

突き当たりにあるエレベーターは、ガラスで奥が見えるようになっていて、まるで天国へのエレベーターみたいだった。「天国へのエレベーターみたいじゃない?」と言ったら、それはとてもロマンチックだね、と微笑みながら彼女は言った。そして、私たちはエレベーターに乗り、地上に降りた。

いつも行かない方の道を行ってみよう(それなら二人共にとって冒険的で楽しい時間になるから)と、少し歩いたところに、とても素敵な小さな喫茶店があった。

 

綺麗な光が差し込む窓際の席に座った。その光は虹だった。

 

ホットケーキセットを選んだ。実は、今日は「ホットケーキの日」。

彼女が部屋に飾っている日めくりカレンダーには、毎日「何の日」か書いてあるそうで、今朝確認してきたらしい。そんな偶然の一致にも驚いたり嬉しくなった。

 

これ以上書いてももう書ききれない、それくらい、奇跡みたいな日だった。たくさんの記憶のポケットを開けあった。

私は高校時代くらいから、本当に心を開いて話せる友達が欲しかったんだなと思う。今、十代後半の記憶がほとんど無いのは、消えてしまいたいなとずっと思っていたからかもしれない。何かに自分が変えられることが怖かった。制作することや、今を生きることや、未来のこと、周りの人たちに問い正されていくようで、怖かった。今、私は友人を得ている。彼女たちと、苦しかった記憶を少し共有する。聞いてもらっているという気もしない。信頼しあっているからこそ生まれる会話だと思う。開示すること、正直な気持ちを伝えること、それは関係性を築きあう中でとても大切なことだ。安心できるほど、自由になれる。

 

彼女と近くのレコードショップに入って好きなクラッシック音楽のレコードを見つけたり、夕陽の色にまた感動しながら歩いて、まあるい月をみて、公園を少し歩いた。彼女は、雪が好きだという。雪が降ると、世界は真っ白になり、とても静かになるからだという。結晶のイメージも、彼女の中にある核心に触れている。その頃にはもう周りは真っ暗になっていた。私の心は、静かになっていた。

 

それから、Paul Gallicoの「雪のひとひら」を最後まで読んだ。彼女の存在が、私にこの本を導いてくれているように感じた。

一生を雪の結晶としての運命に流されながら生きていく。読み終わった後はまるで走馬灯を見ているかのような感覚を覚えた。私は、人生には始まりと終わりがあることに気がついた。雪の記憶をたどりながら、私は、自分の声を聞こうとしていた。そして祈った。

 

私の悩んでいたことは人間関係のことだったけれど、その夜、ちゃんと私の気持ちを伝えたら、相手の心も解けていくように、そして、もっと信頼し合えるように変わっていったように感じた。私の中では、大きく変わった。Kがもたらしてくれたのは、揺るぎない、とっても明るい、穏やかな希望だった。薬よりも、よく効くものがこの世界にはあるのだ

 

カレーは、和風にしてうどんと合わせたら、とっても美味しくなった。

 

おやすみなさい!

 

1−24 水

今日の月はもうすぐ丸くなろうとしている、ほぼ満月。 

一月の満月はsnow moonとも言うんだよ、と教えてもらった。

 

 

今日はカレーライスを作ったけれど、リンゴを刻んで入れたら、量が多かったみたいで、甘すぎるカレーになってしまった。これはまずい。

 

これはまずい。本当に久しぶりにそう感じた。

コンビニで買うおにぎりも、カップラーメンも、焼くだけのお餅やトーストも、お茶も、どれも、間違ってしまったと感じるほど不味くなることなんてあり得ない。でも、このカレーは悲しいほど、まずい。生ぬるい味がする。もう食べたくない。

 

今日は、感情に飲み込まれる前に月を見たことで、心が地面に落ちるのを救うことができた。

それから部屋に着くまで、たまに立ち止まった。静かに揺れている。気配や影に気持ちを寄せていく。冬は寒くって立ち止まることができない。

 

のんびりとすることが大切だ。

考えられるようになったら考えればいい。

そう思っても、刻一刻、自分自身が頼りなくなってしまうのだ。

 

 

昨年の夏を思い出した。Lと一緒にプールサイドで話した時の、彼女の瞳。

彼女が貸してくれた、Rilkeの"Lettes for the Young Poet"をもう一度読み返す時が来たと思う。

 

今日が、ただのいつもと変わらない1日だったのか、何かがすっかり変わってしまった日だったのか、私にはわからない。

毎日がきっとそうなのだ。気付かないうちに下す選択が、物事を少しづつ変えていく。

何を見て、何を感じて、どう呼吸をして生きている?

 

私のことを、あなたのことを、いつだって元気でいてほしいなって思っている人がいるんだよって、Fと電話で交わした会話を今思い出した。すっかり忘れていた。忘れないで。

 

 

私の描いたお気に入りの絵 名前はまだ決めていない

 

today's song

 

dear 眠れない夜へ 眠れるようにしてください

 


 

1-19金

 

 



 

1/19、わたしの大好きな人たちがアトリエにいる生活も、一区切り。私は友達に一年ありがとうと言ってハグしたかったけど、気持ちがぐるぐるしながらずっと緊張してる自分を落ち着けることが最優先のマインドになってしまい、とにかく掃除をして、夜の8時くらいに部屋から去っていく彼女たちの背中を見送った。Aは、元気だったらメールしてね、とジェスチャーで伝えてくれた。

 

棚を整理していたら、Nが作った素敵なガリバンのプリントが目に入った。絵と言葉が一体になっていて、"LET THE WATER FRESHEN UP MY SOUL" と書いてあった。わたしのプリントも出てきた。このまま紙片として片付けるより、ちゃんと名付けてあげたい気持ちになって、エディションナンバーと、"ROSE"という作品タイトルと、サインを書いた。

Aに一枚あげたら、胸に手を当てて喜んでくれた。わたしも自分の胸に手を当てて、彼女の胸とつなげる、手話のようなジェスチャーをした。自分の内側から体が震える気持ちを伝えたかったのだ。

 

 

 

today's song

 

 

おやすみ!