7-7

Platschute

here comes moene! I try to keep my diary

1-25 木

24日の夜、眠れなくて、ひたすらSinéad O'ConnorのNothing Compares 2 U を聴いていた。私は、耐えがたいような気持ちの時、この曲を聴いている。

 

友人のKに悩み事を聞いてもらったら涙が出てきた。

彼女は、夜の間いつでも電話とかメッセージしてね、と言ってくれた。そして、明日は一緒にいるよと言ってくれた。重たい心のままでいるよりも、それを忘れられる時間を過ごした方がいいからと、心を遣ってくれたのだ。

 

 

朝起きて、頭が重かったけれど、洗濯をして、とりあえず少し外へ出て歩き、それから部屋を掃除した。

雲一つない晴れ渡った空の日だった。午前中のうちに自分の気持ちがだんだん分かってきて、不安は和らいできたように感じた。

 

彼女が私の部屋の近くの駅へ来てくれたので、私はそこに向かった。その駅には屋上があって、とても綺麗な庭になっている。そして、東京中を眺め渡すことができる。Kと私は、何もない空の下にある、広い景色に感動していた。人が路地を歩く姿や、遠くのハイウェイだったりも見えた。遠くには富士山を見つけたけど、写真に写そうとするとあまりに小さくって、笑い合った。

ローズマリーが咲いていた。チーズの中にローズマリーと蜂蜜を入れて焼き、それをパンにつけて食べると美味しいらしい。想像するだけで幸福な味だとわかった。

突き当たりにあるエレベーターは、ガラスで奥が見えるようになっていて、まるで天国へのエレベーターみたいだった。「天国へのエレベーターみたいじゃない?」と言ったら、それはとてもロマンチックだね、と微笑みながら彼女は言った。そして、私たちはエレベーターに乗り、地上に降りた。

いつも行かない方の道を行ってみよう(それなら二人共にとって冒険的で楽しい時間になるから)と、少し歩いたところに、とても素敵な小さな喫茶店があった。

 

綺麗な光が差し込む窓際の席に座った。その光は虹だった。

 

ホットケーキセットを選んだ。実は、今日は「ホットケーキの日」。

彼女が部屋に飾っている日めくりカレンダーには、毎日「何の日」か書いてあるそうで、今朝確認してきたらしい。そんな偶然の一致にも驚いたり嬉しくなった。

 

これ以上書いてももう書ききれない、それくらい、奇跡みたいな日だった。たくさんの記憶のポケットを開けあった。

私は高校時代くらいから、本当に心を開いて話せる友達が欲しかったんだなと思う。今、十代後半の記憶がほとんど無いのは、消えてしまいたいなとずっと思っていたからかもしれない。何かに自分が変えられることが怖かった。制作することや、今を生きることや、未来のこと、周りの人たちに問い正されていくようで、怖かった。今、私は友人を得ている。彼女たちと、苦しかった記憶を少し共有する。聞いてもらっているという気もしない。信頼しあっているからこそ生まれる会話だと思う。開示すること、正直な気持ちを伝えること、それは関係性を築きあう中でとても大切なことだ。安心できるほど、自由になれる。

 

彼女と近くのレコードショップに入って好きなクラッシック音楽のレコードを見つけたり、夕陽の色にまた感動しながら歩いて、まあるい月をみて、公園を少し歩いた。彼女は、雪が好きだという。雪が降ると、世界は真っ白になり、とても静かになるからだという。結晶のイメージも、彼女の中にある核心に触れている。その頃にはもう周りは真っ暗になっていた。私の心は、静かになっていた。

 

それから、Paul Gallicoの「雪のひとひら」を最後まで読んだ。彼女の存在が、私にこの本を導いてくれているように感じた。

一生を雪の結晶としての運命に流されながら生きていく。読み終わった後はまるで走馬灯を見ているかのような感覚を覚えた。私は、人生には始まりと終わりがあることに気がついた。雪の記憶をたどりながら、私は、自分の声を聞こうとしていた。そして祈った。

 

私の悩んでいたことは人間関係のことだったけれど、その夜、ちゃんと私の気持ちを伝えたら、相手の心も解けていくように、そして、もっと信頼し合えるように変わっていったように感じた。私の中では、大きく変わった。Kがもたらしてくれたのは、揺るぎない、とっても明るい、穏やかな希望だった。薬よりも、よく効くものがこの世界にはあるのだ

 

カレーは、和風にしてうどんと合わせたら、とっても美味しくなった。

 

おやすみなさい!