7-7

Platschute

here comes moene! I try to keep my diary

1-13 土

同じように、同じ場所を目指して地下に潜っていった

私自身は、昨日の真似をしたように過ごしたけれど、昨日と今日では出会う人が違う。そのことが違う時間の流れを生み出していた。私は今日よく笑っていた。周りにいる人みんなと話した日だった。その人の目を見た瞬間に共鳴するものを見つけて、嬉しくって仕方なかった。

 

今日も同じようにコーヒーを持って、バスに乗った。そして、同じようにバスに乗って帰ってみた。その前にベルクでカレーをリベンジした。今日は単品を頼み、立ち食い蕎麦を食べるように勢いよくお腹に入れて、バス停へと向かった。

今日は言葉を書くような気持ちにはならず、手帳には絵を描いてみた。こんな小さな絵を描く中でも、何かを思い出したり意識をつなげている。たとえば、部屋に作業机を置きたいと思った瞬間のこと、うまく何かを書きたいけど書けないから絵をぐちゃぐちゃにする感覚のこと、入江の水面がもたらす重い印象のこと、夜のバスの座席から見える流動的な風景のこと。

ブログを書くのは自分の部屋を作る時と似た気持ちを覚える。手が物を動かしながら、自分が思うこと、欲していることを確認していく。部屋は、基本一人で過ごす場所。そして、外から持ち込んでくるモノ、思い出、訪れる人などによって、内容は日々変わりアップデートされていく。いつも、アップデートされるタイミングは掃除かもしれない。

今日は掃除をして、机の向きを変えたり、数週間積みっぱなしにしていた紙を元の位置に戻したりした。私は1週間に一回くらい、掃除をする。今日は、ゴミだと思いつつ取って置いていたものが、使い道がある宝物だと気が付いたりもした。

 

 

(それがこの赤いドレスだ。)



 

揺れていた

 

今日話した職場の人たちの部屋のことを、私は少し思う。

来月末からヨーロッパ旅行に行くA君。私と映画の趣味が合うBさん。東ドイツ共産主義時代の建築の本を見せてくれたCさん。民話の話で盛り上がりそうになったDさん。古典文は読めないけど現代文で100点をとるEさん。

みんな私とは全然違う人生を歩んでいるけれど、でもなんだか重なり合う部分もある。私は職場の人たちの部屋に入ることはないけど、話すときに少しだけ、覗かせてもらっている感じがする。部屋とまではいかなくとも、机の端っこくらいのところ。私は新聞記者になって、彼らを取材し、小さな紙片をもらうのだ。

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今朝はとても晴れていたけど、昼過ぎになって、普段あまり見ないようなグレーの雲が空を覆うのを見た。雨が降ってきたので干したばかりの洗濯物を取り込んで、エアコンをつけて部屋干しをすることにした。そういえば昨日、シャワーを浴び終わった時、この人生が続いていくことが不思議でたまらなくなった。



today's song 1

 

today's song 2

 

記憶の中の景色は、私の部屋に少しだけある。毎日7時のラジオZIP-FMを聞いていたあのリビングルームは今私の部屋の中にあると思う。あの海の景色もこの部屋に映し出すことができる。対岸には誰かいるのかな。(そんな蜃気楼をいつか見たかもしれない)

おやすみなさい...good night